〜はじめに〜
他人の目線を気にすることは、空気を読む日本の文化圏において良くある悩みである。
自分の発言が引き起こすリスクを考え過ぎた挙句、他人との会話が困難になる等、かなり深刻な問題であると私は考える。
しかし、現代社会を生き抜く上で他人と接することはほぼ必須、かつ嫌でも他人とコンタクトを取らなければならない時も多々ある。
このような場面で恐縮してしまう方に向け、今回は他人から向けられる目線への考え方を独断と偏見で伝授しようと思う。それでは。

当記事を閲覧している方であれば、他人の目を気にし過ぎるあまり様々な弊害を経験してきたと思う。
そして、自分なりに対策法もたくさん考えてきただろうし、いっそのこと人と関わらない道を進もうなんて非現実的な考えをしたこともあるだろう。
まず、あなたが他人の目線を気にするタイミングがいつなのか考えてほしい。他人と会話をしている時や、学校や会社で一人になっている時など、人により様々な場面で感じるだろう。
このように、なぜ望んでも無いのに人の目を気にしてしまうのか、理由は自分に自信がないからである。
この理由に至るまで様々なプロセスがあるが、根本的には己が持つコンプレックスが他人の目を気にする要因になっていると思われる。
とはいえ、自信の付け方を習得するのではなく、あくまでも自分に合った生き方を探すのが良いと私は考える。
好みの環境や理想の空間、自分が求めている人物をイメージしたとき、目をつけられても問題ない人と出会う道を模索することが良いだろう。
残念ながら他人の目線が遮断される環境は皆無だが、他人から向けられる視線を好転させることは可能だ。

他人の目線を気にし過ぎるのは、嫌われたくない心情から来るものでもある。時には人々の視界から自分を消してほしい、なんて思うことはないだろうか?
しかし、仮にあなたが誰かから嫌われていたとしても、デメリットが多いわけではないと私は考える。なぜなら考え方1つで捉え方がコロコロ変わってしまう生き物、そう人間だからだ。
皆さんも常に経験していると思うが、人間というのは例え血縁関係にある相手だとしても、ウザいorいい奴と判断する感情が行き来している。
つまり、あなたが嫌われている時もあれば、良く思われている時もあり、どちらかを決めるのは個人の主観でしかない、ということだ。
なので、他人の目線が気になる原因が嫌われたくない感情から湧いているのであれば、対象者が人間である以上、考えても無駄なのだ。
また、嫌われいるかもしれない情動に駆られて交流が困難になっているのなら、行動範囲=チャンスを失っている可能性もあるので要注意だ。

この世に生きる全ての人が自分を好きになってくれるのなら、他人の目線を気にする悩みは無くなるだろうが、そんなのは毛頭ない。
なぜなら世の中には、犯罪者を好きになる人や困っている誰かを助けた人を嫌う奴もいる。似たような現象で、最初は良いと思った人が、後になって嫌な奴だったと気づく経験もよくあるだろう。
しかし、そもそも初めから他人への期待値を下げることで、仮に目線が気になるアイツらから嫌なことをされても精神的ダメージを抑えることができる。
他人の目線を気にして自分のチャンスを失うくらいなら、他人への考え方を多少残酷にすることで自分が救われることに繋がることもあるのだ。

他人の目線が気になることは、自分の被害妄想が膨らんでいることに過ぎない。
あなたが思う被害妄想の全ては、あくまで目線が気になる他人から害を与えられたときに事実になる。
そもそも他人があなたをどう思うのか、自分が他人をどう思うのかなど、この世に生きる99%の人間がどうでもいいと思っている。目線が気になる相手は自分以外なので、所詮何を考えているのか分からないのだから。
このように事実ベースで考えるとシンプルな考え方が出来る。
自分が描く被害妄想なのか、はたまた本当に他人から害を受けた真実なのかを明確にすることで、生きやすさが変わるかもしれない。
〜さいごに〜
他人の目線を気にしてしまうことから連鎖反応が生じて、コミュニケーション障害等に陥ることも多々ある。しかし、他人と関わることを極力避けることは様々なチャンスを潰していることも事実だ。単に思い込みやプライドの高さが、他人の目を気にする原因になっている場合もあるので、改めて自分が他人の目線を気にする本当の理由を洗い出してみてはいかがだろうか。それでは。




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